先日、ネットニュースを眺めていると目を引く記事がありました。
『大企業の採用担当者が「出世頭は東大でも早慶でもなく明大出身」と断言する理由』
煽り気味のタイトルではありますが、東大を卒業し社会人を経験した筆者の立場から、高学歴の就活生やその立場を獲得しようとする受験生が少し目を背けがちな問題に誠実に切り込んだ良い記事だと思います。
この手の問題は統計的・定量的にデータを示して立証することが難しい問題です。出世しやすい大学を計る指標として、役員数/卒業生数の数値をランキングにした表などが経済誌によく掲載されていますが、それらはあくまでも過去の事象の説明に過ぎず、現在進行している事態を表すものではありません。したがって、ある種の個人的な印象論から始まり、それを他の人が述べる別の印象論とすり合わせていくことで自身の独善的な思い込みや偏見を訂正していくという地道な反復を積み重ね、その結果として普遍的な相似性・共通性を発見してていくことでそれなりに妥当性のある見解を作り上げるしかありません。そして、私が個人的に経験して得た考えとこの記事の内容とは、ある程度以上の相似性・共通性があります。
目次
超高学歴なのに会社で躓く人は確かにいる
私は学生時代に予備校業界で本格的に働いた経験があり、その当時に教えていた子らの一部は今でも付き合いがあります。彼らもいっぱしの社会人となっていますが、その子らの中にも当該記事に当てはまる子を思い浮かべることができます。非常に学業優秀だったのにも関わらず社会人として苦労している子はいますし、その逆もいます。
また、自分自身の経験と環境からも、この記事がいいたいことは理解できます。私の現在の本業は大学受験とは全く無関係の業界ですが、同期の東大卒者は出世ルートではあるものの一番ではありません。確かに学歴と社会人としての能力には強い相関があると感じる一方、大学受験的な意味での細かい序列そのままに出世の程度が比例するわけではない印象があります。学歴は、あくまでも知性の一要素にすぎず、大きな一要素ではあるけれども人が行う知的活動の質を一元的に評価できる魔法のパラメーターではないということです。
もちろん、神羅万象の中から特に体系化・理論化させる必然性がある分野について人類が長い歴史の中で研究を積み重ねてきたものが学問であり、その適性を受験を通して認められることは高い知性をもつことの証明手段の一つであることは間違いないでしょう。ですが、それが全てではありません。
これはある面では救いのある事実でもありますが、一方で残酷に感じる人もいるでしょう。ただ私は、「高学歴だが仕事で躓く人」をからかったり非難したいわけではありません。こうした傾向を持つ人は、非常に誠実で心優しい性格の子が多くいます。ですので、単純にもったいないなと思います。そういった子の相談を受けたり、また相対的に低い学歴の割に活躍している人やその逆の人を見ていく中で、ある共通点がみえてくる部分がありましたので、それをお話します。
結晶性知能と流動性知能
そもそも人間の知性をどのように評価するかについては様々な研究があります。その一つとしてHorn&Cattellにより1966年に発表された、知能を流動性知能と結晶性知能との二つに分けて考える方法があります。結晶性知能とは意図的な学習経験を通じて漸次的に獲得されていた体系的知識の総体としての能力であり、流動性知能とは初めて経験する環境に適応すべく初見の情報を処理し操作していく神経系の機能としての能力です。そして、高い学歴は高い結晶性知能を証明しますが、必ずしも流動的知性を保証しません。
また、成人の知能検査で用いられるWAIS(Wechsler Adult intelligence Scale:ウェイス)では、群指数として言語理解・知覚推理・作動記憶・処理速度の四つの指標を用い、言語性IQと動作性IQ、ならびに総合評価としての全検査IQを測定します。学歴は高い言語理解・知覚推理の現れと判断できますが、必ずしも高い作動記憶・処理速度を意味するものではありません。
非常に高度な教育を受けた人の中にも、会議で発言せずずっと黙っていて流れに乗れない人、取引先との折衝交渉が苦手な人、タスクが重なると自分が担当する業務の進捗状況の重要な報告を忘れてしまう人、自分のやり方に固執しチーム全体のパフォーマンスを低下させてしまう人は確かにいます。特に社会人になってからの仕事は、遅くて巧みな仕事よりも拙くとも速い作業が求められることも多く、大学までの学問的研究では有利に作用しやすい完全主義的な思考方式は必ずしも優位な資質として働かない場合があります。あまりに行き過ぎる場合は、「それをどのくらいのバランスでやればいいのかという判断ができない人」という無能のレッテルまで貼られる結果になってしまいます。
このように、知能は多重的な性質をもちます。ある一元的な数値で直線的に計測することはできません。いわゆる学校の勉強が、人間のもつ知性の一面の現れであることは間違いないですが、それが全てではありません。高い学歴は高度なインテリジェンスの証左であり人として大変魅力的な要素ではありますが、それが知性の全てを表すものではないことは十分に意識しておく必要があります。
明治大学の卒業生の特徴
ここで最初のヤフーの記事を再解釈すると、「東大卒者の中には流動性知能や作動記憶・処理速度が低いタイプがいる。その逆として、最高レベルの大学を卒業しているわけではないが流動性知能や作動記憶・処理速度に優れたタイプがおり、そうしたタイプは明治大の卒業生に多くみられる」といったところでしょう。
もちろん明治大学も、同世代の1割強以内の高い学力をもつ集団ではあります。大学受験の講師を経験した人であればよくわかると思いますが、普通の高校生をマーチクラスに合格させることはなかなかに難しいものです。ただその一方で、押しも押されぬ超難関というわけでもないでしょう。第一志望は一橋や早稲田・慶応であった人は多いでしょうし、横浜国大や筑波大等を狙っていたが難しいと考え途中で明治を第一志望に変更した人も多いはずです。
こうした学生、つまりそれなりに高い学力がありながらも挫折経験を経たことで無駄なプライドが削られ、それにより恥をかくことへの恐れから生じる心理的な行動制限がなくなり自由闊達に過ごした学生は、全体的に流動性知性が高くなる傾向があることはありうる話だと思います。実際、知り合いの明治出身の方をみてもこうした印象を受けます。
それに対して東大に代表される超難関大は、発達障害を抱える学生の割合が一般の大学と比較して多いといわれています。実際、東大は、コミュニケーション・サポートルームという発達障害の在籍学生を支援する専門機関を近年に立ち上げており、その開設シンポジウムの中で「東大が多くの発達障害の人を抱えるのは事実」と語っています。また早稲田大学も、発達障害学生向けの専門支援部門を設置しておりカウンセリング等の修学支援を行っています。
流動性知能を高めるために
結晶性知能も流動性知能も高いに越したことは無い
とはいえ、これは東京大学よりも明治大学に行った方がいいことを単純に意味するものではありません。大学受験に限らず、後から考えれば、必ずしも最上の結果でなくとも問題なかったといえることはあるでしょうが、人間はその時その時で最善と思われる行動をとっていくべきであり、それを疑っていてはなにもできません。大学受験にしても、より上位校を狙えるのであればそれに越したことはありません。
いずれにせよ、重要なのは、どの大学に進むにせよ学歴を獲得する過程では身につかない能力があることを素直に認め、その能力を習得すべく努力することです。
流動性知能を高める経験
そこで、多くの学生を見てきた経験から、こういった流動性知能が際立って高い人が共通して学生時代に経験していたこと、逆にいえば結晶性知能が高いにも関わらず流動性知能が今一つと感じる人が学生時代に経験していない傾向があることを挙げてみようと思います。それが以下の3つです。
・一人旅や留学など豊富な海外経験
・高度な外国語会話能力の獲得
・臨機応変さとスピード感が要求されるアルバイト経験
それぞれの詳しい内容については次号記事「流動性知能が高い人が学生時代に経験している3つの事柄」で述べることとします。